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せっかく面白い本を読んだのなら文章にしてアウトプットしよう!と思い作ったブログ。 興味の赴くままに乱読しているので、統一性のない勝手気ままな書評となっていることを陳謝。

古典文学から科学専門書まで幅広く読んだ本の中でこれは!!と思ったものを紹介していきます。
本と関係のないことも載せていきますが、それらも含めて楽しんで頂ければ幸せ至極です。
冷やかし歓迎!

星を継ぐもの

200806-13

著者:ジェイムズ・P・ホーガン

訳:池 央耿

出版社:東京創元社

1980年5月23日初版

 

高校を卒業したくらいにたまたま立ち寄った本屋で表紙のカッコ良さに惹かれてしまい、思わず購入した小説。読み終わってから気付いて驚いたのが、自分が生まれる前に書かれた古いSF小説であったこと!

ジャケ買いをしてしまったわけだが、未だに忘れることの出来ない衝撃の出会いだったので、思い出せる範囲で紹介したいと思う。

 

 

IDCC(分析装置メーカーで原子核物理学研究所等も有する世界的企業)の理論物理研究員ヴィクター・ハントはある日突然、取締役からIDCC本社へ飛ぶように命ぜられる。

赴いた先で待っていた国連宇宙軍(UNSA)航行通信局本部長グレッグ・コールドウェルから、月面のある洞窟から見つかった遺体について聞かされる。

遺体で見つかった人物は、どこの月面基地にも所属しておらず正体不明の為、取りあえずチャーリーと呼ばれていた。

たった一人のチャーリーの身元を調べる為にUNSAが何故世界的企業のIDCCに技術提供を求め、物理学者のハントや生物学者のクリスチャン・ダンチェッカーという世界に名だたる科学者を招集して調査チームを組んだのか、コールドウェルの一言にそれが凝集していると言ってもいいだろう。

「何者であるかはともかく・・・・チャーリーは5万年以上前に死んでいるのです」

 

 

SF好きでなくても、このセリフだけで物語に強く引き込まれてしまうのではないだろうか?

 

 

やがてチャーリーの科学的分析の他に持ち物の中の手記等の解読が進むにつれて、チャーリーが属していた社会の様子や、死ぬ間際のチャーリーの壮絶な境遇が分かり始める!

 

そしてこの物語のクライマックスは、ルナリアン(月で最初に見つかったので、チャーリーの属する人種をこう呼んでいる)の真相解明を祝うパーティーの席上で突如始まるダンチェッカーの大演説である。

ダンチェッカーはチャーリーの真相解明からさらに踏み込み、それまでに解明された事柄から導かれる唯一の論理的帰結を確信していた!

そこで聴衆にこう言い放つ、

「私は、この考えを何の矛盾もなく完璧に裏付ける論旨によって人類の起源を説明する自信がある」

 

ここでとうとうルナリアンと人類との関係、人類のミッシングリンクの謎、すなわち人類の祖先が歩んできた進化の歴史が明かされる!

 

 

本著はミステリーの要素もあるので、もしかしたらこれから読む人も居ると思われるので紹介はこれぐらいにしておきたいと思う。

SF小説の中でも古典とも言える、長らく読み継がれてきた名作なのでこの記事を見て興味を持って頂けたら幸いである。

ディスカッション

今回は本の感想ではなく、最近思ったことを書こうと思う。

というのもよく日本人は、自分を表現したり議論したりするのが苦手と言われるが、それをつくづく感じさせられた出来事があったからである。


私の会社では毎年12月に全社研修というものが恒例行事になっている。


全国の営業所から大阪に全社員が集まって、その年の業績や翌年の基本方針の発表、外部から招いた講師による研修等を通じて全社員のレベルアップを図るのだが、何よりの目玉がグループディスカッションである!
当日発表される12~3名のメンバーで、あるテーマにそってディスカッションし、最後に役員も含めた全社員の前でコミットメントを出す。

今年もいよいよ全社研修が近付いて、去年コミットメントしたことがこの一年間でどの程度の達成率だったのかを、つい先日メンバーで集まって検証した。
限られた時間の中で「出来たこと」、「出来なかったこと」を報告書にまとめて役員に提出し、承認を得なければならない。
もちろん報告書に盛り込む事柄にも限りがあるし、一年間の集大成でもあるのだから読み手(この場合、主に役員たち)にも正確に伝わるように文章表現にも細心の注意を払う。


リーダーの「この事柄についてどの様に書いたらいいだろう?」という投げ掛けに対して、


ある人は「Aとしてはどうだろう」
と個人の意見を述べる。ここまではいいのだが、問題なのは、

また違う人が「Bとしてみてはどうでしょう」と、
前者の案と関連の薄い意見を述べることである。


限られた時間の中で早急に結論を出さなければならないとき、この様にただ単に思いつくまま案を出して行くのは間違いである。


後者は、A案があるのに何故B案を出したのかを説明しなければならない。

A案よりもB案の方が前進的で、最終案として相応しいという事が他のメンバーに受け入れられなければB案に取って代わることはないのだから、
それを説明出来ないのなら後者の発言は意味がない。

単に選択肢を増やし、ディスカッションを撹乱してしまう。




早い段階で皆に意見を述べさせ、出来るだけ沢山の案を並べるのは正しい。

だが話のポイントを発散させるのは最初だけで、やがては話を収束させていき、どこかに着地点を見出さなければならない!

これが結論となる。


話を上手く収束させて、きれいに着地する為には司会進行者(リーダー)に技量が要る。
もちろん司会進行者だけ結論を出すわけではないのだから、皆で一つの方向性を取ることを意識しなくてはならないだろう。


上述の後者の発言は、極端なはなしA案に対してYesかNoでもいいと私は思う。
もちろんYesならば話合いはスムーズに終りに向かうだろうが、角が立つことを覚悟でNoと言ったとしてもA案に納得し兼ねる人が居るということを知らしめるだけでも意義がある。

全員は無理でも、出来るだけ多くの人が納得できる結論を出すことが理想なのだから。


かなり偉そうに知った風なことをつらつら書いたが、生産的で有意義なディスカッションとはこのように議論が進められてはいないだろうか?


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君主論

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著者:ニッコロ・マキアヴェッリ
訳:佐々木毅
出版社:講談社学術文庫
2004年12月10日発行

以前、マイクロソフト元社長の成毛眞氏が著書の中で、社長に就任した際に「徹底的に参考にした」と述べていたので気になって購入した本。

著者のマキアヴェッリは1497年、ピエロ・ソデリーニが共和制を敷くフィレンツェ市政府に書記官として登用される。しかし、1512年にこの政府が崩壊した際にアキアヴェッリはフィレンツェ市内から追放され、隠棲していた時期に本書が書き上げられた。1494年のフランス王シャルル8世のイタリア侵攻によって、フィレンツェにおけるメディチ家支配が一旦は崩壊したのだが、その後の共和制(民衆制)も国際政治の荒波にもまれる中で崩壊し、メディチ家が再び力を持ち始めた。君主論は、共和制崩壊後にメディチ家に接近する目的で、ジュリアーノ・デ・メディチに献呈するために書かれたものである(しかし、実際に献呈できたのはジュリアーノに代わって実質的支配者となったウルビーノ公)。

本書は、部下を持って組織をマネジメントする人にとってもかなり参考になるものと思われる。そこで自分が気になったところを紹介する。

第ニ章 世襲の君主権について
君主の血統に服従してきた世襲的な領域を維持するのは容易である。それというのもそれを維持するには先祖伝来の秩序から逸脱しないようにし、もろもろの出来ごとにたいして適切に対処するのみで十分であるからである。」とある。要するに今の会社のような組織で言うと、社長の職をその子供が継いだ場合、子には特別な才能は必要ない。問題が起きた時に対処できる程度の能力があればOKということだろう。
自分が勤めている化粧品メーカーは、親族経営でやってきて現社長は創業者の三代目である。ここ数年は売り上げが芳しくなく、今年は賞与が減っている・・・。ということは今の社長は「もろもろの出来ごとにたいして適切に対処」出来ていないのであろうか。もちろん組織である限り、社長一人だけのせいでは無く、会社を大きくした先代の頃と比べて会社に何かが足りていないはずだ。

第七章 他人の武力または幸運によって得た君主権について
単に幸運によって恵まれたため私人から君主になった者は、君主になるにあたって殆ど苦労を必要としない半面、それを維持するに際しては多くの困難に遭遇する。そして彼らは自らの地位を保つ方策を知らず、保つこともできない。」とある。この章でマキアヴェッリは、運良く君主になった者はその地位を維持するためには相当な努力を要すると述べている。その例として、彼が理想の君主と目したチョーザレ・ボルジアを挙げている。チョーザレ・ボルジアは父の幸運に恵まれて支配権を獲得し、彼の類稀な能力のお陰でその地位を維持したとのことである。
会社でも、ただ単に長く居るだけ、ゴマを擂って上長に気に入られただけで管理職になった人間に部下が付いて来ないのもこれと同じことであろう。

第十七章 残酷さと慈悲深さとについて、敬愛されるのと恐れられるのとではどちらがよいか
君主は残酷だという汚名を気にかけるべきではない。実際あまりにも慈悲深いためかえって混乱状態を招き、殺戮と略奪とを放置する支配者と比較して、彼(残酷だとされる支配者)は極めて少ない処罰を行うだけであるからより慈悲深いことになろう。なぜならば前者は全ての人々に害を与えるのに対して、後者の場合には君主の行う処罰を蒙るのは一部の人々のみであるからである。」とある。これは悪いことをした人間にはきっちり処罰を行わなければ、好き勝手されて害を被る人間が増えてしまうということであろう。
また会社に例えて恐縮だが、会社の金を横領したした奴、セクハラした奴にはちゃんと罰則を科して、下の人間に示しを付けなくては組織は混乱する。多めに見ることは決して優しさではない!

後輩からおちょくられている自分がマキアヴェッリの言う「憎悪されない程度に恐れられる君主たれ」を実践するのは難しそうだが、これから指導する機会が増えるであろう自分にとっては大変興味深い本であった。



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